森広忠の名古屋大家道 第52回コラム
『前田利家-家を守り大きくした人-』
今回は『前田利家』について書きたいと思います。
利家さんを知らない人は多いかもしれません。
生まれてからずっと名古屋市に住んでいる妻は、同じ市に生まれた
利家さんを、まったく知りませんでした。
ただ、大河ドラマの『利家とまつ』か『加賀百万石』
という言葉は知ってみえる方もいるかもしれません。
「前田利家」から学ぶ
前田利家は尾張国愛知郡荒子(現在の名古屋市中川区)の、
前田家という豪族の4男として1538年に生まれました。
織田信長さんの4歳下です。
中川区荒子は新幹線の名古屋駅の南西に位置し、
前田家は、名古屋市営地下鉄東山線「高畑駅」徒歩10分程度範囲にある、
荒子観音や荒子公園一帯を本拠地にしていた豪族でした。
①めぐまれた上司
利家さんは、初めは「織田信長」そしてその部下の「柴田勝家」、
元同僚で数歳歳上の「豊臣秀吉」そしてその子「豊臣秀頼」を上司としました。
また、利家さんの死後は長男の利長が徳川家康を上司としました。
② 業績
利家さんは、一地区の豪族の4男から能登・加賀・越中の大名となります。 また、利家さんの死後も、長男の利長は加賀(現在の金沢市)一帯を安定して統治し、 結果的に利家さんは加賀百万国の創始者になりました。 さらには、前田家は江戸時代終焉まで加賀藩をおさめたうえ、 明治維新後も爵位を得るなど優れた業績を後世まで残します。
前田利家は戦国の大出世武将にして家を守り大きくし、後世にまで伝えた人物
と言えると思います。今回は、そんな利家さんの業績を、
「私も家を守って大きくしていけたら」
と思ってみえる大家さんのために3回に分けてコラムにしていきたいと思います。
【名古屋市中川区にある前田利家 誕生碑】
③ 大失敗
利家さんは若い10代の頃から「かぶき者」でした。「かぶき者」とは派手な格好をして 歩く、今でいうヤンキーでした。 のちに上司になる織田信長も若い頃「かぶき者」の「うつけ(愚か者)」で有名。 マンガで有名になった「かぶき者」前田慶次(利益)さんとは、 甥(慶次=兄の奥さんの連れ子)と叔父さん(利家)の関係です。
利家さん「かぶき者」やりながら14歳で織田信長の織田家に就職し、21歳で結婚。 翌年には女の子が生まれました。
ただ、子供が生まれてめでたいのも束の間、22歳で同僚とのつまらないいさかいから 上司(織田信長)の秘書(同朋衆)を切り殺し、 本来ならば同僚を殺した罪で切腹・死罪のところ、一点減免されて
出仕停止!(懲戒免職・雇い止め)
の大失敗をしでかしました(女房・子供もいるのに何しているのでしょうか)。
牢人(無職)中は、実家がお金を出して軍記物(昔の戦いの記録)・ 兵法(戦いの仕方全般)・銭勘定(お金の計算)を勉強していたようです。
また、出仕停止を命じた、織田信長の機嫌を直させるため、勝手に、織田信長がする戦争に参加して、手柄を2度ほど立てました。その生活や2度の手柄が認められ、また後の上司となる柴田勝家や豊臣秀吉などの社内のプッシュも多分あって利家さんは、再度、織田家への就職することになります。さらには4男だったのにお兄さんたちを飛び越えて、織田信長の命令で、前田家の跡取りにもなりした。
大失敗を取り返した利家さんでした。
【名古屋臨海高速鉄道あおなみ線 荒子駅前にある 前田利家 初陣像】
まとめ
・若い時の大失敗は、取り返せる
・取り返そうと、その場その場で努力することが大切
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