森広忠の名古屋大家道 第59回コラム
『戦国時代 最高の軍師 竹中半兵衛』中
今回は先月に引き続き『戦国時代 最高の軍師 竹中半兵衛』についてかきます。
上編でかいた「稲葉山城(岐阜城)乗っ取り」につづき
竹中半兵衛のやりで後に大きな影響を残したことは、
「黒田官兵衛の息子の命を救ったこと」があります。
ご存じの方も多いかもしれませんが、
黒田官兵衛は、竹中半兵衛と並び称される戦国時代の軍師で、
岡田准一さん主演の大河ドラマ「軍師 官兵衛」の主人公です。
黒田官兵衛が敵将を説得しにいってつかまっていた際に、
織田信長は、官兵衛が裏切ったと勘違いして彼から預かっていた
人質の息子を殺すよう指示しました。
その際、織田信長に「殺した」とうそをついて、
官兵衛の息子の命を救ったのが、竹中半兵衛でした。
竹中半兵衛と黒田官兵衛とは、羽柴秀吉の配下の武将として、
知り合いの間柄でした。
黒田官兵衛が秀吉からの「兄弟とも思う」と書かれた手紙を自慢していたのをとがめ、
上下関係を勘違いすると官兵衛の将来のためにならないと、
手紙を焼き捨てさせたのも竹中半兵衛でした。
さて、竹中半兵衛はなぜ、「黒田官兵衛の息子の命を救った」のでしょうか?
私の考えですが、竹中半兵衛は「客観的に考えて黒田官兵衛は裏切っていない」
と思ったからだと思います。
もともと、黒田官兵衛は、元の主人を説得して、織田信長に仕えました。
さらに信頼を得るために人質を出したうえ、
命がけで敵将を説得しにいっています。
そのような者が、「人質も見捨てて裏切ったりしないのではないか」
と考えたのだと思います。
また反対に、裏切ったのなら、何かしらの行動があり、
活動的な黒田官兵衛ならば、方々に手紙を書いたりして、
「ほかの裏切りを誘うなどするはず」だと思うが、
それをしていない以上、裏切ってはいないのではないか
と竹中半兵衛は考えたと思います。
「人質を見捨てない」と「裏切りならさらに裏切りを誘うはず」の
表と裏を客観的に考えると
裏切りではなく、殺されたか幽閉されたかのどちらか、
だという結論に竹中半兵衛は達したのだと思います。
実際、黒田官兵衛は敵将に幽閉されていて、
後日、身体に障害を受けながらも生きながらえています。
そして、息子とも再開でき、息子は後に
明治時代まで300年近く福岡周辺を治めた
黒田藩の藩祖「黒田長政」として、父の黒田官兵衛とともに
後世に名前を残しました。
後に、黒田長政は、竹中半兵衛に感謝して、半兵衛の息子とともに
「関ヶ原の戦い」に徳川家康側で参戦します。
長政とともに手柄を立てた半兵衛の息子も徳川家に仕え、
竹中家も明治時代まで残る旗本として、岐阜県垂井町周辺を治めることとなりました。
それができたのも、竹中半兵衛の客観的な分析と
織田信長の命令をやぶるという、命がけの決断なくしては、なしえなかったと思います。
大家さんにとっても、「買うか売るか」、「建てるか建てないか」、「修繕するか修繕せず空室のままとするか」など
いろいろな決断があるかと思います。
ぜひ、表と裏とを客観的に考え、後世に家を残せる決断をしていただければと思います。
税理士 森 広忠
まとめ
・決断する時は客観的に「表と裏」とを考えた方いい
・「表」が、この決断をしたらどうなるかの正面から見た考えで、
「裏」は、反対の決断をした場合や、相手の手のひら(利益)の
裏側を考える
・「表と裏」両方を客観的に考えて、決断をしていけば失敗を少なくでき、
後世に家(財産)を残す決断を下すことができるようになるのでは
ないでしょうか
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