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子供を信用せず滅亡|名古屋人的!大家さんのための歴史!戦国武将編『武田信玄』

森広忠の名古屋大家道 第51回コラム

武田信玄-最悪の家庭人と遺言-

武田信玄も知っている方が多いと思います。
今年2021(令和3)年は1521年に生まれた武田信玄の生誕500周年に当たり、
山梨県では生誕祭というイベントが行われています。

 

 

風林火山の旗や、甲斐武田ということで、山梨・長野などを制圧していった武田信玄。

大河ドラマでも常連で、「武田信玄」、「軍師官兵衛」や「真田丸」など武田信玄そのものや彼の事績を担いだドラマも作られています。

ただ、私は大家さんや地主の方が家を承継していくときに絶対に真似してはいけない、最悪の家庭人だったと正直思っています。

「武田信玄」から学ぶ「賃貸経営の相続」

① 親追放と家財収奪

まず、信玄は20歳のときに周りに扇動され父親を山梨から静岡へ追い出しています。
父親殺しまではしませんでしたが、父の財産や業績をすべて奪っています。

② 神主&妻の親殺し

長野県の南部には、諏訪湖・諏訪大社という湖や神社があります。諏訪大社は、昔から今でも地域で尊敬を集める神社です。

武田信玄は諏訪地方一体を支配したいため、諏訪の豪族兼、諏訪大社の神主だった諏訪頼重を殺しています。

さらに、諏訪の地域を安定して支配するため殺した諏訪頼重の娘を妻(側室)にしています。

③ 嫡男殺し

武田信玄は、自分の承継者と考えていた嫡男の武田義信を殺しています。

理由は、静岡に攻め入りたいから。

武田義信の妻の実家は静岡の今川家でした。そして、長年助け合っていた静岡(今川家)に攻め入ることに、夫婦で反対していました。
その反対を押し切るため、武田信玄は、あらぬ罪をなすりつけて嫡男義信を切腹に追い込んでいます。

④ 最悪の遺言

最後に家や事業を継承していくために絶対に見習ってはいけない
最悪の遺言を書いています。

内容は

「我が死は、3年間秘匿し、内政に努めよ(戦争は3年するな)」
「葬儀は無用、骸は3年の後、甲冑を着せて諏訪湖へ沈めること」
「天下一の信長、武勇日本一の謙信、この両人の運が尽きるのを待ち受けよ」

この3つは、良いのですが、問題は最後に

勝頼(信玄の息子:当時27歳)は
信勝(勝頼の子=信玄の孫:当時6歳)承継までの後見として努め
越後の上杉謙信を頼ること」

という一文を残していることです。

この遺言は「甲陽軍艦」という江戸時代に書かれた書籍に残っているものですが、葬儀を実際に3年後にしているなど、残された人々が守っていることなどを考えると、極めて信玄の意志が正確に反映された=信玄が考えた遺言状になります。

では、なにが最悪かといいますと、
承継者は6歳の孫(信勝)で、27歳の息子(勝頼)は
中継ぎに過ぎないところです。

武田信玄の跡を継いだ武田勝頼27歳は、6歳児の中継ぎに選ばれています。

実の父親から遺言書で、
「お前は力がないから孫に期待する。」と書かれて勝頼はどう思ったでしょうか?

しかも勝頼の母は、信玄に親を殺されて土地を奪われた諏訪家の女性でした。

勝頼は、武田家や信玄に恨みこそあれ、喜んで中継ぎを引き受けたのでしょうか?

こういった最悪の家庭人・遺言がどのような結果をもたらすかというと、

武田信玄の死から3年後に長篠の戦いで織田信長&徳川家康に負け、
10年後に武田家は滅亡。
勝頼・信勝含め、武田一族は自死に追い詰められています。

最近の研究では、織田信長が鉄砲を用いた近代的戦術で長篠の戦いで勝利したのは武田家滅亡のきっかけに過ぎず、すでに内部から崩壊していたという説もあります。

武田信玄は、山梨から長野・静岡・愛知まで支配地を伸ばすなど業績は素晴らしく、「信玄堤」という堤防を残し、地域の治水にも尽力するなど、後の世の中からは名君・名将と言われています。

しかし、わたしは、武田信玄を使って地元をPRしようとしている方々には申し訳ないのですが、

武田信玄は地域の支配(仕事)を優先し、家庭や人としての道を守らない最悪の人物だったと思っていますし、見習ってはいけない遺言は承継者を潰し、家を滅亡に追い込んだ人物だと思っています。

参考資料マイウェイムック「戦国武将の遺言 子孫はツラいよ」P8から13

まとめ

・武田信玄は名君・名将と言われているが家庭人としては最悪

・特に遺言で、子供を信用せず、孫を承継者としたことは、現役世代のやる気を削ぎ、組織崩壊・滅亡につながった原因だったと思われる

・親世代が残す、遺言や家訓は非常に大事で、一方的に自分の思い込みから命令をするのではなく、若い世代を尊重し、やる気を出させる正当な内容にすることも大切

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ABOUT ME
森広忠
名古屋市出身、名古屋経済大学大学院卒業後、2008(平成20)年シンプルタックス森会計【森広忠税理士事務所】設立。税理士として、個人事業・中小企業の顧問を行う。実家が古くからある地主で、不動産賃貸業をアパート、貸倉庫、貸地、貸家、月極駐車場で営んだ経験あり。 顧問先に不動産賃貸業者が多く、不動産・不動産管理会社を利用した所得税・法人税・相続税の節税相談の経験が多くある。
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